こんにちは!! 結華京都の、和菓子大好き!「京・扇子」です!
今回のテーマは、「京菓子」です!
皆さんは、和菓子と聞いて何を思いつきますか??
「どら焼き」、「羊羹」、「たい焼き」、、、?(無限に思いつきます(笑))
和菓子は、茶の湯で有名なように、はるか昔から人々の生活と切っても切り離せない関係にありました。
実は、和菓子の中でも京都発祥のものが多くあります!!
さて今回は、京菓子の魅力について迫っていきたいと思います!
「京菓子」とは
一体、「京菓子」とは何なのでしょうか?
ざっくりと説明すると、
「今日(こんにち)まで京都で作られてきた、伝統的な和菓子」です!
現在でも、職人さんによって伝統を受け継ぎながらも、工夫が凝らされた京菓子が作られています。
つまり、京菓子は京都の伝統的な食文化の1つです!
京菓子の起源に迫る!
京菓子は、今日に至るまで形を変えつつ、変化していきました。
そんな京菓子の歴史について見ていきましょう!!
唐菓子(からくだもの)
当時の中国である、「唐」から遣唐使を通して文化が伝わりました。
その一つとして伝わったものが、「唐菓子(からくだもの)」です!
米や麦などを粉末状にしたものを油で揚げて作られるそうです。
唐菓子について書かれた文献が多く存在しています!
中世(鎌倉・室町)
中世になると、茶会のときにお菓子を食べる(茶請け)、「点心」と呼ばれる風習が広まりました。
「点心」で代表的なお菓子は、「羊羹」や「饅頭」などです!(今でも有名なものが多いですね!)
また、「砂糖」の登場によって、より現代的な和菓子に近づいたようです。
南蛮菓子
室町時代や安土桃山時代の日本では、外国(ポルトガルなど)から様々な文化が伝来しました。
その1つとして、日本に伝来したのが「南蛮菓子」です!
有名なものとしては、「カステラ」や「金平糖」、「ボーロ」などです。
『これは外国から伝わったものなのになぜ「和菓子」なのか??』と思う方もいらっしゃるでしょう!
答えは単純で、「日本独自の進化をしていったから」です。
どんな種類の京菓子がある?
さて、京菓子の種類についてみていきましょう。
知っている京菓子はありましたか??
八ツ橋
有名な京菓子の1つです。
「生八ツ橋」という京菓子もありますが、形状が異なります。
【八ツ橋(焼き八ツ橋)】
【生八ツ橋】
ところで、八ツ橋の起源はいつなのでしょうか?
これについては、はっきりしていませんが、1,680年という説が有力なのだそう。
1,680年というと、元禄2年です。
社会の歴史で習ったキーワード、「元禄文化」。つまりは、江戸時代の真っ最中です。
実は、八ツ橋の起源には様々な説がありますが、有名な2つの説を紹介しましょう。
八ツ橋をよく見ると、日本の伝統的な楽器「箏」に似ていることがわかります。
江戸時代の、箏の巧者である、「八橋検校」を偲んで作られたという説が1つ目です。
2つ目は、「伊勢物語」第九段「かきつばた」に書かれた「三河国八橋」にちなんで作られた説です。
学生時代に、この物語を国語の古文で読んだ気がします(うる覚えですが(笑))
水無月(みなづき)
「水無月(みなづき)」をご存じですか??
旧暦で6月を何というでしょうか?? そう、「水無月」です!
水無月は、京都発祥の伝統的な和菓子の1つです!
三角形の「ういろう」の上に甘い小豆がのっかっています。
実は、6月30日に無病息災を祈願して、「夏越の祓(なごしのはらえ)」が行われています。
そのときに、水無月が食べられるという風習があるのだそう。
旧暦でいう、6月1日は「氷の節句」ともいわれ、御所では氷室(ひむろ)の氷を口にすることで、暑気を払っていたのだそうです。
しかし、当時の「氷」はとても貴重で、なかなか庶民が手に入れにくいものでした。
そこで、氷にかたどった「水無月」を作って、食べられるようになったそうです。
ちまき
「ちまき」をご存じですか??
もちもちとした餅を笹の葉で巻いたものです!
実は、ちまきの起源は中国にさかのぼるようです。
かつて中国には「屈原(くつげん)」という有名な詩人が、自ら川へ身投げしてしまいました。
悼んだ人々は、屈原の命日であう5月5日にお供え物を川に投じましたが、悪龍に食べられてしまいました。
そこで、楝樹の葉を巻いて、五色の糸で縛って川に投じたのが起源とされます。
中国の風習が日本に伝わり、現代でも端午の節句にちまきを食べることが多いです。
ちまきには、子どもの健やか成長を願ったり、厄払いをするという意味が込められているそうです。
まとめ
京都で有名な、「京菓子」について分かっていただけましたか??
京菓子は京都の誇る伝統的な和菓子です!
京都では、有名なお店が多くあるのでお土産におすすめです。